着るものをどうしたらいいか考える

着るのは楽しいけど、考えるのはもっと楽しい。

海外旅行先で服装について考える

 少し前に、旅行でフィレンツェに行きました。私でさえ行くくらいの場所なので、世界中から観光客が集まってくる街です。地元の人に混じって世界中のさまざまな地域の人が街中を歩いていました。

ヨーロッパに行くとハッとするのは、金髪や茶色の髪の人が、薄いクリーム色からベージュ、茶色のグラデーションで、自分の髪色に合わせた装いをしているのを見たときです。すごくベージュが綺麗にはまっていて、ああいう感じは日本ではまず見かけないものだと思います。「ベージュは黄味を帯びているから日本人の肌色に合う」なんて話を見かけることもありますが、そんなおおざっぱなもんじゃないよね。ベージュはヨーロピアンが得意な色、だとつくづく思います。

観光客の中には、東アジア系の見かけの人もけっこういて、中国や韓国から来てるっぽい人はそれなりに目立って目を引きます。韓国の人はきちんとメイクをしていて着ているものも流行りのものでパリッと決めているという印象があります。中国の人服そのものにそんなにこだわっている感はないけど、何人かで連れ立っていて声が大きく存在感があります。

……で、話としてはよくある話なんですけど、こういう場所で日本人を見かけると存在感が薄いんですよね~。日本語が聞こえてくるから日本人がいるなと思って振り返ってみるけど、そうやってわざわざ探そうとしないと見つからないほど存在感がなくて、目に入らない感じでした。服装は取り立てて言うほどダメでもないけど「おしゃれだな」と目を引くこともない感じ。身体が薄くて背丈がなくて、とにかく「ちっちゃい」印象。あら、そこに誰かいたの?みたいな。

私もそう見えてるんだろうけど。とても不思議であります。何なんでしょうあの現象は。

理由はあまりわからないながらに、もうちょっと思いつくことを書いてみると、とくにシンプルベーシック(トレンチコートやパーカーにシャツ、デニム、スニーカー、みたいな)な格好をしていると辛いと思いました。こういう「なんでもない」格好こそ、もっと背が高くて身体そのものに存在感がある人たちと同じように着ていると、ただただ周囲に迫力負けして中の人の存在が消し飛ぶ感じで、なんというか辛いものがありました。腕まくりとか着やせとか抜け感とか、そんな小細工には何の効果もない。

こういう場では、全身ヒョウ柄おばちゃんスタイルの人のほうがずっとましでした。その人の個性が見えるという意味で。また、「観劇したりいいレストランに行く時に海外でも着物を着る」という話を聞きますが、それはアリだというのもわかります。「自分は何者か」を美しく洗練された形で示せるから。

小奇麗に無難にまとめるよりも、「私はこういう人!」というのをバーンと出しているほうが見る人には魅力的に映る。ちょっと破綻しているくらいでむしろちょうどいい。そういうことなのかなあ……?

 

ただ、フィレンツェでとても貧相に見えたシンプルベーシックな格好が、日本に戻ってきたとたんに普通に見えるから不思議。日本にいると「はみださない」「人と違うことをしない」ことをよしとする意識が強くなるのかなあ……?

 

いろいろと考えさせられる機会でありました。

 

 

なお、イタリアは男性のスーツ姿がすごくかっこいい人が多かったです。皆ピタッと身体にあったサイズのスーツを着こなしていて、お腹が出ていたりしてもそれはそれで格好いい、みたいな。