着るものをどうしたらいいか考える

着るのは楽しいけど、考えるのはもっと楽しい。

自己評価が低いと服装が変になる

今日は朝から役に立つ記事を読みました。

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「毒親」という略称がすでに定着しているほどですが、念のために記しておくと。毒親とは、スーザンフォワードの著書『毒になる親』に書かれているような、子供を精神的・肉体的・経済的に虐待するひどい親のこと(毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫))。

上の記事にも記されていますが、そういう親に育てられると自己評価が不当に低くなっちゃう。だって子供のころから自分に自信を持てなくなるような言葉を親から浴びせかけられて育つわけだから(ひどい話だよね)。

服装が、「自分とは何者なのかを服を通じて目に見える形にし、周りの人とコミュニケーションを図ること」だとすれば、自分自身を不当に低く評価しちゃってると、その人の本来の良さを人に見せるどころか、「自分なんてつまらないものを人様にお見せするわけにはいきません」と、変に自分を隠そうとする服装になってしまう。そしてそれは他の人から見たときに、本人とはどこか不釣り合いで変な格好に見えてしまう。

「毒親育ち」に限らず、他の理由であっても、自分に自信がもてないと同じことになるよね。自分自身と適切な距離感を取れてないと、自分と他人の距離も見誤ってしまう。服装なんて、つまりは自分と他人との距離をいい具合に調整するためのツールのようなもんだから、当然ツールの使い方もずれてしまう、というか。

(もしかすると、このツールである服装をうまく使っていくことによって、自分自身に本来あるべき適切な評価を取り戻せる可能性もあるかもしれないけど。まあ、逆は必ずしも真ならず。なんとも言えません。)

このテーマは、私には簡単には取り扱えないので、今回はこれくらいにしておきますが、自己評価と服装は深くリンクしているというのは、確かにそうだなと思います。