着るものをどうしたらいいか考える

着るのは楽しいけど、考えるのはもっと楽しい。

似合う服のほうがいいに決まってる

「好きな服と似合う服は違う」という話はよく聞きます。で、そのどちらかを選べと言われたら、私なんかは即答で「似合う服を選ぶ」に決まってるんですが、そうじゃない人もいるの???

自分自身のことを考えたらすぐにわかるけど、「好き」っていう気持ちはかなりいい加減で、ころころ変わったりします。友達が着ている服を見て「いいな」と思っただけでも気持ちは変わるんだから、一日に十回転、二十回転の勢いでころころしちゃいます。そんなものをあてにして服を買ったらやばいですよ。お金がいくらあっても追いつかない。脳みそがあるんだからもう少し理性を働かせよう。

 

それから、「好きな服」は自分のいままでの発想から一歩も出ないので、私自身にとってはそれほど新鮮味がないであります。「好き」ってある意味ひとりよがりな感覚なので、それだけを狭く追求したところで大したところには行きつかない……と、自分の他の分野での経験を振り返ったらそう思います。むしろ、誰か他の人に「こんなの似合うんじゃない?」って言われて着てみたら似合った、という体験は、すごく刺激があって楽しい。新しい自分の新しい世界が急に目の前に開けるわけだから。

そして、そもそも、あるアイテムが似合ったら、結局そのアイテムが大好きになりませんかね? 「似合うけど嫌い」ということがどういう状態なのかさっぱり理解できないです。

 

そして、やっぱり私は、服はどちらかといえば、自分のためよりも他人のために着るものだと思ってるから(だって、写真や鏡なしには自分の目で自分の格好を見ることもできないんだし)。少なくとも、自分と他人の関係性のために着るものだと思うから。つまりはコミュニケーションだから。

なので、人から見て「似合う」という客観性を抜きにして服を選んだところで、何のためにわざわざそんなものに安くもないお金を払うのか意味が分からない。

私自身、今までさんざん好きだけで突っ走ってきた結果そういうしょうもない選び方をした服ばかりで手に負えなくなったあげく、今こうやって整理しているわけでもあります。

 

 

ここからは余談。

また、逆に考えてみると、他人から「似合う」って言われる服をどうしても自分は受け入れられない、という場合は何かが変だというシグナルではないでしょうか。

だって、今の自分は周りの人たちからはそういった服が似合う人に見えているわけよ? なのにそれを否定するというのは、それってつまり、自分で自分のことが全然見えていないか、自分自身のことがすごく嫌いかのどちらかよ(もう一つ、その周りの人がアホだという可能性もありまして、それは無視すればいいだけ)。

服なんかどうでもいいから、先にそちらの方を真剣に考えるべきではないのかという気がします。自分自身をもっと構ってケアしてあげていいのではないでしょうか。