着るものをどうしたらいいか考える

着るのは楽しいけど、考えるのはもっと楽しい。

そこまで「おしゃれ」したいわけじゃなかった件

着るものをどうしようと考えるときに、「ファッション」とか「おしゃれ」っていう言葉を漠然と使ってますが、言葉の意味をよく考えると「ファッション=流行」だし「おしゃれ=服装や化粧などを洗練したものにしようと気を配ることおしゃれ【御洒落】の意味 - goo国語辞書、なんだそうです。

そう考えると、私は流行アイテムで全身固めたいと思う人間ではないから、そこまでファッションに関心があるわけじゃないと言える。

洗練された身なりになりたいっていう気持ちはたしかにあるけど、それに対して今実際に自分がしているほどお金や労力をかけたいかというと、別にそこまでしなくていいかなと思います。つまりは、そんなに「おしゃれしたい」わけでもなかったです。

じゃあ、こんなブログを書いたりしていったい何をあれこれ考えているのかというと、服には、私自分が有利になるように役に立ってもらいたい、という期待があります。実益。現世利益。

状況に合わせたある服を着ることによって、例えば、「この人に仕事を任せておけば大丈夫」とか「この人はそんなに悪い人じゃないよ」とか「この人と話したらきっと面白いよ」とか「この人の言ってることは聞いておかないとまずいかも」等々、といった雰囲気を、周囲の人に対して与えてほしいです。

えげつないことをあからさまに書いてしまえば、服によって「人間関係のヒエラルキーの上位に行きたい」という気持ちだって、確実にあります。

それなりの時間やお金をかけているんだから、このくらいは役に立ってほしいでありますよ。せめて、「趣味兼実益」くらいの位置づけになるようにしたい。逆に言えば、役に立ってくれるのならば、ワードローブが10着だろうが1000着だろうが構わないし、プチプラだろうがハイブラだろうが、1回しか着ないで捨てる服があったって構わないです。

いっぽうで、「似合う」「自分らしい」は、より効果的に服に役に立ってもらうためには外すべきでないポイントかもしれません。服は手に入れさえすればどうとでも変えられるけれど、中の人を入れ替えることはできないですから。

そして、自分が人にどういう印象を与えるかが大事なので、あくまで他者志向です。「自分が満足できればいい」のなら、いつでもゆるゆるした楽な服装していれば済む話。写真や鏡を使わないと、自分がどんな格好しているかを自分の目で見ることさえできないわけで、自分のためなら着ごこち以外は問題にならない。だから服装は「人から見られてなんぼ」の世界だと思います。

 

いま急にこの話を書く理由がとりたててあったわけじゃないのですけど、自分がどこに行きたいのかを見失わないように、いったん書いておきます。「おしゃれって思われるためにおしゃれする」なんて、まるでやる気がないです。

 

よく考えたら、今回の話に近いことはいままでにも時々書いていました。

rci.hatenablog.com

  

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