着るものをどうしたらいいか考える

着るのは楽しいけど、考えるのはもっと楽しい。

年を取ったら良いものを着たほうがいいという話

8月からジム通いを始め、面白くてすっかりそちらに夢中になっていました。トレーニング用のウェアをそろえたり、とか、ね。(やっぱりそこか!)

今までしなかったことをするようになってみると、いろいろ気づく点があります。

たとえば、ふだん仕事に行くときの服に比べてジム用の服は露出がだいぶ多いのですが、それは鍛えた自分の身体こそがアクセサリーだからなんだなあ…、とか。身体をうまく隠すよりも、見せびらかすことに重点をおいた服選びになるんだよね。なので私もふだんは着ないノースリーブや、トレーニング用ブラを見せること前提の開きの多いトップスなどを選んでみたりしています。

もう一つ気づいたのが、「世の中にはこんなに高齢者がいるのか」ということ。私の場合、職場と家の往復生活だと定年以上の年齢の人に基本的に会うことがないし、業界としても比較的若い人向けなので、こんなに大勢の高齢者に入れ代わり立ち代わり会うという機会が初めてでした。

しかも、ジムだから半袖半ズボンといったそこそこ露出のある格好をするわけで、否応なしにいろんな年代の人のいろんな身体を目にします。

するとやっぱり、若者に比べたらものすごく衰えているんだよね。お肌の質感も身体機能も。

個人差があるといっても微々たるもので、年を取ったらどうしたって身体は衰えて、よぼよぼになってしまう。若者の光り輝くような身体の美しさには何をどうしてもかなわない。

正直なところ、ショックを受けました。自分もそれなりに年を取ってきたために、おのれの身に重ねてショックを受けた面もあります。

 

……まあ、とはいえ、ジムに行くようになって急にこんなにショックを受けるというのは、逆に考えると、それ以前はあまりそんな風に思っていなかった、ということでもあります。

つまりは、ジム以外の場所では、服で身体をうまく隠すことによって、衰えを目立たなくできているのだということ。改めて、服ってすごい。

そして、もう一歩踏み込んで言うと、顔や髪や手といった服で隠せない部分の衰えを補うためにも、ほかの部分の服ができる限り上質であるほうがいい、とわかりました。衰えによって、身体そのものが光り輝く感じ(まさにオーラであります)は失われてしまうけど、代わりに質の良い服が持っている輝き(これって服のオーラなんですかね?)で、少しは補填することができるのであり、やらないよりずっとまし。

逆に言うと、自分自身がよれよれしているうえに服もよれよれしていたら、目も当てられない、です。

こんな心配するのはまだまだ先、と思い込んでいましたが、そろそろ自分の服選びにこういう観点を持ち込んでもいいかもしれないなあ…と思いました。